本や漫画を読んだり、ドラマ、映画をを見ているとストーリーの中で正義と悪を題材にされていることって結構あります。
では正義とは何なのでしょう?
最近、虚構の世界ではなく、現実で正義について考えさせられることがありましたので今回のブログを書いてみました。
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正義感から始まるイジメ
以下の物語をまず、読んでみてください。
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とある有名私立高校のお話。
ある日校長先生は、教師たちの中に、学校の決めたルールを破り、生徒たちに被害を被らせている者たちがいるのを見つけました。そこで、校長先生は直ちに、その教師たちを解雇しました。そして生徒たちの親に対して、『○○△△、〇×〇〇、△〇××、この3名によりこういった不正がありました、その者たちは直ちに解雇しました。私の監督不行き届きです、申し訳ございません。これからうちの高校はこういったことがないよう、次のような対処をしていきます。見守ってください。』という手紙を配布しました。
ところで、校長先生は【○△私立高校校長のブログ】という公式のアカウントをもってブログを毎日更新していました。それがなかなか面白いと評判で、生徒や親だけでなく、この高校とは関係ない様々な人たちが、たくさん見に来るようなとても有名な人気ブログでした。そのブログにはたくさんの一般の校長先生ファンがついていました。
その人気ブログに、校長先生は今回のできごとを、手紙に書いた内容ほぼそのままで、不正を行った教師たちの名前もフルネームで載せて、ブログを更新しました。
生徒の親たちや、卒業生たち、ファンたちからは『そうやって包み隠さず全て話してくださるからこそ信頼できます!!これからも応援します!』といったコメントが多数寄せられました。
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この話を読んでどう思いましたか?
これは私は部外者であり、だいぶフェイクを入れていますが現実で起きたことです。よ
私は、実際にその3人の教師が不正をしたのかどうかは知りません。校長先生がそう言っている一方的な話しか知らないし、証拠を見たわけでもないので、事実はわかりません。
そして私はその高校にも通っていませんが、その3人の教師のことは知っていました。今まで、『うちの高校は教師たちがみんな一丸となって生徒に向き合っています』と普段から仲がよさそうな写真をたくさん載せていたので。
ところが、仲良しブログが一転、あっという間にその3人を批判、批判、批判の毎日のブログが始まりました。
私は一連の投稿を見ていて、正直、とても気分が悪くなりました。
校長先生にとっては、これが正義なのでしょうね。
包み隠さず全てを公表し、素早く対処することが正義だと思っているのでしょう。
もし不正が事実であったなら、生徒だけでなく校長先生も被害者です。でもこれは、校長先生は確かに被害者であるかもしれませんが、やっていることは3人の教師たちから見れば、加害者でもあるのです。
確かに、生徒とその親たちには説明責任があるので、お手紙などで、関係者たちにお知らせするのは何もおかしくありません。
しかし、それが事実であっても、ブログなど誰もが読みうるところで、公に名前を公表し批判するのは、名誉棄損にあたるはずです。(法律上、たとえ事実で批判される内容をしでかしたとしても、その人の名前をわかるようにして、多くの人に広めれば名誉棄損になります。)
一斉に、自分のファンたちを味方につけ、一緒になって3人の教師たちを叩く。これではイジメと同じです。
相手が悪ければ何をしてもいいのでしょうか?
そんな大人たちに指導される生徒たちがかわいそう。いじめはだめです、なんて言っても説得力はゼロですね。正義感があるのは素敵なことですが、それを振りかざして何をしてもいいのか、というとそれは違いますから。
ネットではこういったことがたくさん見られますが、見ていてとても悲しくなります。正義は絶対なのか?と。
アニメに学ぶ『正義』
アンパンマンでは、アンパンマンたちヒーローが、悪いことをするバイキンマンをやっつけるという基本の流れで毎回大体話が構成されていますね。アンパンマンの作者であるやなせたかし氏は『正義』について次のように話しているそうです。
正義とは実は簡単なことなのです。困っている人を助けること。ひもじい思いをしている人に、パンの一切れを差し出す行為を「正義」と呼ぶのです。
正義って相手を倒すことじゃないんですよ。アンパンマンもバイキンマンを殺したりしないでしょ。
だってバイキンマンにはバイキンマンなりの正義を持っているかも知れないから。
あのヒットアニメを作られたやなせたかし氏、おっしゃることも素晴らしい。さすがです。
正義とは、逆方向から見れば『悪』なんですよね。
アンパンマンはやなせ氏自身が戦争に行った経験から生まれたアニメだそうです。やなせ氏は第二次世界大戦の時、『正義の戦い』だと言われて、それを信じて中国と戦ったけども、戦後初めて、それが侵略戦争だったと知ったんだそう。
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戦争なんてどれも、お互いに『自分が正しい、正義だ』と思っているからぶつかるのであって、こちらが悪だと思っている敵国だって、敵国からみれば、自分たちが正義であり、こちらが悪なんです。だから絶対的な正義なんてありえない。
やなせ氏がいうには、
正義のための戦いなんてどこにもないのだ。正義は或る日突然逆転する。正義は信じがたい。
ぼくは骨身に徹してこのことを知った。これが戦後のぼくの思想の根本になる。逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。
出典:やなせたかし 「アンパンマンの遺書」
とても納得ですね。
正義はある日突然逆転する。全くその通り。
漫画、『デスノート』の主人公、夜神月もまさにそうでしたね。大人気なので読まれたり、映画化されたものを見た方も多いと思います。
月は、死神のノートであり名前を書けばその人物を殺すことが出来るデスノートを拾ったことから、正義のために悪いやつらを自らの手でさばき始めるのですが、いったん始めるとどんどんデスノートで殺す対象の敷居は低くなり、途中からは自分を捕まえようとする人たちを犯罪者でもないのに殺し始めてしまいます。
だけど、月は、それが正義だと信じ続けている。自分の正しい行いを邪魔するやつらは警察だろうが、たとえ犯罪者でなかろうが、『悪』なのです。
そして逆にそんな月を捕まえようとするLにとっては、月は人殺しであり、『悪』なのです。
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どちらの方向から見るかで、正義と悪は簡単にひっくり返ってしまうんですね。
ウォーキングデッドにおける正義と悪
私のよく書いているブログ内容で出てくる『ウォーキングデッド』とは、アメリカの大ヒットドラマであり、ゾンビたちが(このドラマではウォーカーと呼ぶ)発生した世界を、生き延びようとする主人公たちのサバイバルホラードラマです。
ドラマのシーズン初期の頃は、ウォーカーたちに追われ、逃げたり戦ったりとウォーカーたちに翻弄されているのですが、途中からはサバイバル術を身につけ、ウォーカーたちはあまり問題ではなくなってきます。
この終末の世の中で生き延びようとする主人公たちの前に立ちふさがるのは、人を食べるウォーカーたちではなく、同じ生きている人間なんですね。
今まで、いろんな、敵対する人物たちが出てきました。
恐ろしい、残虐な人物たちがたくさんいて、いつも何とか主人公たちが勝ってきましたが、敵対する人物たちには敵対する人物たちなりの『正義』がありました。
方法は違えど、自分たちが生き残るために、それが正義だと信じて、残虐なこと、卑怯なことも行っているのです。
主人公たちも、最初は、殺されそうになったから、相手を殺し、自分の身を守った‥という生き方をしていましたが、
だんだんと、やられる前にやる、という、敵対相手から見れば主人公たちが悪ととれるような行動もとり始めています。
また、現在敵対している相手は、多くの仲間を引き連れ、残虐に主人公の仲間を殺し、搾取し、ひれ伏させている人物なのですが、彼は自分が正しいと信じきっています。
彼は、放っておけば、非道な殺戮を繰り返す男たちをリーダーとしてとりまとめ、最小限の殺しや脅しで相手がいうことを聞くようにした、恐怖政治を執り行っています。
自分はこんなにも、正しいリーダーをやっていてそれに従えば誰も傷つかずお互いに生きられるのに、歯向かってくる主人公たちは、彼にとっては『悪』であり、多くの人が死ぬ状況を作り出すのは自分ではなく、主人公たちなのだ、と思っています。
もちろん、主人公たちにとっては、仲間を殺され、虐げられ、搾取しようとしてくる相手が『悪』なのです。
お互いに自分が正しい、と疑わないから、戦いは終わりません。
自分ならどう生きるべきか
自分が正義だと信じ、行動するとき、本当にそれは正義なのか?と疑ってみることが大切かもしれません。
一方的に相手を批判するのではなく、相手には相手の考えがあったのだろう、と思いやってみること、想像してみること。
難しいかもしれませんが、みんながそう努力すれば、世の中にこんなにも多くの争いは起こらないのではないでしょうか。
それを怠り、自分だけが正義だと奢ってしまったら、ある日ふと気づけば、自分が悪になっているのかもしれませんね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
あなたにたくさんの奇跡が起きますように。
waheguru❤️
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