西神ニュータウンの氏神様、櫨谷諏訪神社

私の趣味が神社仏閣巡り。(またの名を神頼み巡り•笑)

今日は先日行ったばかりの櫨谷•諏訪神社のご紹介です。

スポンサードリンク



櫨谷諏訪神社の御祭神は?

神戸市西区の住宅地、西神ニュータウンの氏神様になる神社が、こちらの諏訪神社だそうです。

御祭神様は建御名方命(タケミナカタノミコト)。

配祀神様は

誉田別命(ホンダワケノミコト)

事代主命(コトシロヌシノミコト)

天児屋根命(アメノコヤネノミコト)

大日靈貴命(オオヒルメムチノミコト)

天御中主命(アメノミナカヌシノミコト)

だそうです。

諏訪神社のホームページによりますと

当社創建について社伝によると、鎌倉中期の文永元年(1264年)、端谷城主の衣笠法眼為氏が、信州諏訪大社より寺谷(櫨谷町の東端地区)に勧請(かんじょう=神仏の分霊をむかえて祀ること)したが、しばらくして毎夜のように長谷村(現在地)の山の樹上に光り物が現れるようになり(現在もこの地名を光松という)、その後奥方の夢のお告げに従い、神社の位置を、近くに池があり、諏訪大社の鎮座地に似ている現在の地に移したところ、それ以降は光り物もなくなったと伝えられている。

とのこと。最初は同じ櫨谷町内でも東の方に勧請したけれど、現在の場所に光が現れたので場所をこちらに変えた、というのは不思議な話で、こういう話が大好きな私はワクワクします💓

御祭神様のタケミナカタノミコト様ってどんな神様?

タケミナカタノミコト、またはタケミナカタノカミは漢字では建御名方神などとかかれていますが、本来は、ミナカタが『水潟•水ナ方』という字で、諏訪湖の水神様である、という説があります。

国譲り神話をご存知ですか?

国譲り神話とは、古事記に書かれている話でこの建御名方神はこの神話に登場します。

その昔、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が、孫の瓊々杵命(ニニギノミコト)豊葦原水穂国とよあしはらのみずほのくにを治めさせようと考え、その当時、そこを治めていた大国主神(オオクニヌシ)に対して、国を譲るよう何度も神様を遣わしましたが、大国主は譲りませんでした。

スポンサードリンク



そこで、最後の手段で、天照大御神は、建御雷神(タケミカヅチ)を使って武力行使に出ました。大国主は、息子である事代主神(コトシロヌシ)と建御名方神に譲ってもいいか、と尋ねます。

事代主神は、譲っても良い、と答えましたが、建御名方神は、反対し、大きな岩を持ち上げ、建御雷神に勝負を挑みましたが、負けてしまいました。建御名方神は逃げ出して信濃の諏訪湖に逃げ込み、二度と諏訪湖から出ないことを約束して、許してもらいました。

この2人の戦いが、今の日本の相撲の起源となった、と言われています。

そんな経緯で諏訪湖の神様となったのが建御名方神で、現在もお諏訪様と親しまれています。

気になるお諏訪様のご利益は?

軍神、風の神、狩猟神、五穀豊穣の神、農耕神などと言われています。

勝負に負けたのに、軍神?と思われそうですが、建御名方神は、地上の神様の中で最強だったそうです。建御名方神を諏訪湖に追い込んだ、建御雷神は天界の最強の神様。地上の神様が勝てるはずがない相手なんだそうです。そんな相手に立ち向かって勝負を挑んだ建御名方神の勇気、かっこいいですね!

また、諏訪にきた際に、諏訪の氏神と戦い、制圧したそうで、やはり、戦いの強い神様であることに変わりはないようですね✨

櫨谷の諏訪神社はどんなところ?

住所:兵庫県神戸市西区櫨谷町長谷75

櫨谷町の諏訪神社ホームページhttp://www.seishin-suwajinja.com/about.htmlより引用

車通りの多い車道から、細い道に入った先にあります。

手水はこんな感じ。洗う順番が書いてある看板があり、参拝客に優しいですね✨

本殿がこちら。静かで厳かな雰囲気。

こちらにはお参りの正しいやり方が書いてあり助かります^ ^

この他に

稲荷大明神。

学業の神様、菅原道真さんの天満宮。

伊勢神宮、天照大御神の神明社もありました。

一通りお参りして、社殿裏の噂の光り松を見に行きました。

ゆっくりエネルギーを感じたかったですが、ソッコー蚊が寄ってきたので逃げました(笑)時期を改めてまた来たいですね^ ^

おみくじを結んで帰るところに、イモリ?ヤモリ?がいました。

私がカメラを向けたら隠れてしまい、おててが見えてます(笑)

可愛いですね♡かと言ってこっちきたらぎゃーって逃げると思いますけど(笑)

さて、次はどこの神社ご紹介しようかな⛩

楽しみです💕

スポンサードリンク