この宇宙には因果というものが存在します。それは目には見えないものなので、因果応報はあるのかないのか、という議論の種にもなりますが、目に見えなくとも、確実に存在しています。
今日は、この因果応報という宇宙の法則について、書いていきます。
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因果応報とは?
因果応報とは、現代では、簡単に言うと自分のした事ははいつか返ってくる、という意味で使われていますね。
因果応報という言葉を使う時、悪い事にばかり使われがちですが、良い行いをした際には、良い事が自分に返ってくる、という意味も含まれています。
因果は、原因と結果、を表しますので、因果応報は良い悪いに関わらず、原因は結果として返ってくる、という事なんですね。
私は悪い事してないのに、なんでこんな目に遭うの?因果応報なんてないわ!不公平なだけでしょ!
という人が極たまに、私のブログに突撃してきます。
偉そうだったりバカにしている口調だったら私は無視して消去してます。
失礼な人に真面目に答える義理ないですからね!!(笑)これ、私のブログですから。
という気持ちはもちろんありますが、そんな暴言コメントをする時点で言ってる事とやってる事が矛盾しているのに、そこに気付いてない人に話が通じるとは思えないんですよね。
私は何も悪い事してないのにこんな目に遭ってる!!って、言いますけど、何も悪い事してない人間なんて存在するのでしょうか?あえて悪事を行う事は無くても、自覚はない部分で誰かに迷惑をかけたり、知らず知らず傷つけてしまう事は生きていれば誰でもありえますよね。イジメのような酷い事はしてなくても、ちょっとした陰口、悪口なんて誰でもやったことがあるはずです。
生きていく以上、常に誰かに迷惑をかけているかもしれない、誰かを傷つけているかもしれない、という謙虚な気持ちがない時点で、ちょっと現実の認識が歪んでいると思います。
また、ひとつの意見として、淡々とコメントをくださる場合は、反対意見でも返信していますが、そうではなく、因果応報なんてない!あんたはバカだ!というような、こちらを罵倒するような事を書いてきている人は、
いやいや!今やで?!今すんごい酷い事書いてるやん(笑)!それ、私が傷つくと思わんの?!
とツッコミたくなります(笑)
私のブログに来て、自分とは反対意見を読んで、カッとなって、なぜか私に何を言ってもいい、と思い込んでコメントしてきているようですけど、そんな事を平気で書き込める時点で、普段私は悪い事は一切してません!というのは確実に間違ってますよね(笑)普段そうやって気に入らないとすぐ怒ってるんだろうなぁーと思ってしまいますよ。
自分の事は見えない、というのは誰にでもあると思います。私もそういう部分は多々あります。でも今現在こうやって罵倒してるのに、私は悪い事してない、と同時に言ってるのは理解できませんね‥。
そういう人見てると、ますます言いたくなります。
因果応報、あると思います!
因果応報の由来は?
そんなもんない!と必死に突撃してくる人を見ていると、因果応報の由来はどこだろうな?と気になり調べてみました。
因果応報の由来は仏教
私たち日本人は、多くの人が、家族が亡くなった時は仏教のやり方でお葬式をあげていると思いますが、だからといって私は仏教徒です!というほど、信仰はしていないし、仏教の教義を詳しく言えたり、お経をしっかり覚えている人はあまりいないですね。
ですので、もちろん、ご存知の方もいらっしゃるでしょうけれど、因果応報の由来は、元々は仏教の考え方です。
そして、今の人生でやった事が返ってくる、という意味だけでなく、前世でやったことも、今世で返ってくる、という意味を含んでいます。
以前因果応報のブログを書いた時は、私は前世ってあるのかな?くらいの認識だったので、その部分はわからない、とご質問には答えていました。
しかし、たくさんの事を勉強し、前世は存在する、と分かった今、前世からの因果が今世で返ってくる事も因果応報として存在する、と考えています。
先日禅宗の1つである、曹洞宗(そうとうしゅう)のお経を読む機会がありました。経典を読んでいて、皆様にシェアしたい部分があったので載せておきますね。
道元が書いた『正法眼蔵』から編集された経典で、修証義という五章にわたるお経があります。
その第一章がこちら↓なんですが、
出典:http://www.osoushiki-plaza.com/library/kyouten/soutou-k.html
この中の一部分に因果応報について書かれた部分があります。
『およそ因果の道理ははっきりとして公平である。悪をなした者は地獄に落ち、善行を積んだ者は善き世界に昇ることは全く間違いのないことである。もしこの因果の法則が無効であるならば、仏が世の中に出てきた意味も、祖師の達磨が西から仏法を伝えた意味も失ってしまう。
善悪の報いの法則に三つの時がある。一つは、行為をなした報いがその生涯の間に現われる順現報受、二つは、善悪の報いが来世に来る順次生受、三つは善悪の報いが再来世あるいはそれ以後に来る順後次受である。これを善悪の報いの三時という。』
http://www.osoushiki-plaza.com/library/kyouten/soutou-k.htmlから引用しています。
善悪の報いは今世か、来世か、再来世もしくはもっと先に来る!と書かれていますね。
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つまり、因果応報っていうけど、ここまで酷い目に遭うようなこと、さすがに私、してませんけど!というような事は、前世、もしくは前々世からの因果応報の可能性があるということです。
そんな記憶にない事の責任取らされるって辛いですね😰
でも自分の魂が前世、あるいは前々世にやってしまった事が今世で巡ってくるからこそ、因果は公平という事なんですね。
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私が以前、前世があるか疑っていた時は、
『あの人はあんな酷い事をしたのに、今幸せに暮らしてる!因果応報なんかない!』というコメントが来た時に、他人には幸せそうに見せているだけで、実際の内面はわかりませんよ、と書きました。また、本当に今その人が幸せで、まだ因果応報が来ていないのならば、今後にありえますから、今来てないのはおかしい!と思うのは違います、というような事を書きました。
でも、今ならこの二つの文に付け加えて、さらに下記の内容もお返事として書けますね。
今世を生涯幸せに暮らしても、来世か来々世に因果応報があるので、今きてないのはおかしい!と言うのは違いますよ、と。
引き寄せの法則をかじった人が間違いがちな思い込み
引き寄せの法則の本を読むと、よく現実は自分の心の鏡、というような事が書かれています。
それだけを真に受けて、現実に起きている事は、自分の心が発した事だから、自己責任ですよ!だからあなたが悪いんです!考え方を変えなさい!というような事を言っている人がたくさんいます。
もちろん、それは一部分は正しいと思いますが、それだけが全てではありません。
因果応報のように、前世からの因果を今世に引きずっている事があるので、魂としては、責任はあるけれど、今の今世の本人の意識としてはやった覚えがないことで、因果応報がきて、嫌な目にあったりする事もあるし、また先祖が犯した罪が子孫である自分に因果応報で巡ってきている可能性も十分にあり得ます。
そういった、前世や先祖などの色んな因果がからんで、今の現象が起きています。
学びを得るために、生まれる前に自分で決めてきた事が起きている可能性もあります。
だから自分の内面のせいで今の全ての出来事が起きているのだから、それを変えれば全て解決!というのはかなり暴論なんです。
もちろん、常に自分は偏見で思い込みをしていないかな?と考えたり、自分を振り返って、あの時のあれがよくなかったのかな?と考えて改めようとする事はとても大切ですし、私もそうありたい、と思っていますけど、それだけではない理由で現実に様々な事が起きるのだ、というのは知っておいて損はないと思います🙂
さてさて因果の話は尽きませんが今日はこの辺にしておきます。
あなたに全ての奇跡がやってきますように♥️
waheguru♡
こちらは自分の発したものが返ってくる、に焦点をあてた内容でオススメです❣️↓
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